ユングは不思議⑨
- Toru Takahashi
- 2024年2月11日
- 読了時間: 4分

まだ幼い頃、テレビ番組で大反響を得ていたのがUFO特集や、カワグチヒロシ冒険シリーズでした。両手を繋がれて歩く「毛」という物が見られない、まるで爬虫類のような宇宙人の姿に驚き、怖がった思い出があります。
空飛ぶ円盤は、世界各地で目撃されました。私も、小学生の時に見ました。夜空を飛ぶ光る物体。非常に複雑な動きをするのに驚き、ジグザグ飛行できる飛行物体は、UFOに違いないと思いました。まあ、誰も信じてはくれませんでしたが。しかし、ユングはキッパリと言いました。「UFOは、実在する」と。
これをネタにした本を、今も持っています。かの有名な精神医学者、分析心理学者であるC.G..Yungは、宇宙人と交流している。そんなオカルトじみた説を述べ、ユングを超能力の持ち主のように仕立て上げている、いわゆる「子ども騙し」の本でした。JungをYungと、スペルが間違っている、ニセモノ本でした。
ユングが言いたかったのは、UFOを見たのは「集団的無意識」「普遍的無意識」の成せる技であり、世界のあちこちでUFOを見た人がいるのは、人間に共通する無意識がある根拠として述べているのでした。ですから、オカルトでも何でもない、フロイトとは異なる分析心理学者の考え方だと言えます。
無意識と呼ぶからには、意識(認知)できない心の奥底について、ユングらしい学説を立てていくと、嘘偽りに思われることです。私も当初は、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)などの考え方に、疑問をもっていました。しかし、長く生きてくると、その信憑性を疑うこともなくなりました。
ユングは、生きていく術を教えてくれます。人の性格の好き嫌いをしなくなったのも、その中のひとつです。また、インフォリオリティ・コンプレックスを自分の生きる力として捉えることもできました。つまりは、偏った見方・考え方からの脱却によって、新たな世界が広がったのも、ユングから学んだことです。
さて、集団的無意識・普遍的無意識を、私なりに解説してみます。それを具体的な言葉で言うと、国民性、県民性、地域性と解釈しています。よろしくない言葉で言うならば、島国根性などが挙げられます。他国と境界が、全て海である日本。一種独特なものの捉え方・考え方をするのを、実感している人も多いでしょう。
それを「閉鎖的」と呼びましょうか。日本の常識は、往々にして世界の非常識だとも言われます。そんないじけた性質が、国民全体に共通しているように思います。それが、日本人としての集団的無意識のように思います。
そして、エリアを限定的にすると、我が秋田県民性は、あまり肯定的な見方ができません。学生時代を過ごした東京都は、地方出身者のカオスだったので、都民性なるものは感じられませんでした。人それぞれの思いに任せて生活しているだけでした。
東京の冬空は、陽の光が低いものの、いつも眩しいほど晴れ渡っていました。その環境に違和感を抱くのは、やはり「裏日本」出身者の哀しい性なのだったと思います。秋田県は、自殺率全国1位だった状態が、長く続きました。2位になった時、ニュースで報道されました。しかし、今も下位になれないでいます。哀しい県民性です。秋田の冬は、空が非常に低い日が続きます。
何か根の深い「諦め」の集団的無意識が、地域全体を支配しているように感じるのは、私だけでしょうか?7年ほど住んでいた新潟県とは決定的に異なる無意識が根底に根づいているように思います。
お金の問題が、全県的に雰囲気を暗くしている一因のようです。秋田県で大学教員をしている某准教授の「ここは終わっている」発言。そして新潟県から同じ職で戻ってきた時、給料が手取りで5万円下がった時の、唖然としたことなどを思い出しました。
平均点という統計的有意差が不明な数値で比較して、全国学力・学習状況調査で全国上位になった時、「秋田県は学力が高い」と、ぬか喜びする様子は、恥そのものです。限界集落の存在を棚に上げて、少子高齢化を唱える人たち。明らかに、ズレています。
県民性・地域性と呼ぶ集団的無意識は、簡単に変わるものではありません。マイナス志向を逆転させるのは、不可能なのかもしれません。しかし、我がふるさとの人々に、わずかであっても自己肯定感を獲得して欲しいと思います。私自身がユングに惹かれた理由も、こんな思いからかもしれません。
悪口めいたことばかり書き綴ってきましたが、自分のふるさとが好きです。時に音楽は、集団的無意識を表現していることがあります。「大いなる秋田」という吹奏楽と合唱による楽曲があります。そこには、こうありたいという秋田県民の集団的無意識が封じ込められているように思います。
恥ずかしながら、全曲を聴いたのは、数年前でした。誇らしくなりました。そして、涙が出ました。こんな秋田にしたいと思いました。観客の方々と同じ思いを味わったように思いましあ。せめて次世代は、こうあってほしいです。もっと魅力的な土地であってほしいと、思っている人も多いでしょう。しかし、土地の魅力を創るのは、そこに住み、生活している人たちであることを忘れないでほしいのです。
湿っぽい話で、失礼しました。
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