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ユングは不思議⑤

更新日:2023年6月19日


 「コンプレックス」という用語を使ったのは、ユングがトップバッターに当たるのだそうです。私たちも割と気軽に使いますが、下記のような定義で使うことは稀かと思います。


 ユングの定義では、コンプレックスは苦痛、恐怖感、羞恥心など意識には受け入れがたい感情の集まりをいいます。そのため、通常は自我によって抑圧されて意識されることはありません。その意識化は嫌悪感や無力感、罪悪感を伴うために容易ではありません。


 すなわち、劣等感に限定せず、あくまでも自分の知らない、心の闇というべき場所で起きているいうことです。無意識という限りなく広く自分の心でありながら意識が及ばない世界であり、「氷山の一角」の氷山が無限大な状態であることを示します。


 「コンプレックス=劣等感」という認識が世に広まっていますが、言葉のスケールが全く異なります。この言葉を無理に使うとすれば、劣等感コンプレックス、優越感コンプレックスと呼びます。この場合、わざわざコンプレックスという言葉を使う必要などないと思いますが。


 フロイト、ユング、アドラーといった、いわゆる深層心理に目を向けて、客観的に科学技術で及ばぬ心の領域を「無意識」と呼びました。フロイトなら、ヒステリー症状による身体トラブルの治療に、まずは無意識の概念を取り入れました。器官的には正常なのに主な五感が停止した病的状態を治癒させるため、患者のコンプレックスに着目したアプローチをしました。


 「コンプレックス」は、こんな深刻な場面で使われる用語ですが、なぜか私たちの日常語としても使われており、この専門用語を理解している人も多いかと思います。ここで、深層心理学の専門用語を話題にしたら、書き手そのものも行き詰まる可能性が高いので、日常語としての「コンプレックス」に話を留めておこうと思います。私の理解が、実践を伴っていないからという言いわけでもあります。


 コンプレックスについて、来談者中心療法のC.R.ロジャースは、理想自己と現実自己の大きなギャップでコンプレックスが生じるという見解を述べています。この考え方に同意される方は、多いと推察されます。この「理想自己」における捉え方も、人により異なります。


 当然かもしれませんが、個々の理想自己を他者との比較から設定する傾向にあるようです。自分と比べて、どれだけ優れているかという着眼点です。まずは、学力を筆頭にした人と競う能力です。運動会の200m走で、トップがゴールしているのを、私は中間部のカーブから、黙々と走りながら見ています。こんな時「俺ってダメだな」と軽く落ち込みます。毎年のことだったから、結果は走る前からわかっていました。当然、劣等感が生じます。


 悔しい思いをしたり、不機嫌になってしまうことは、あくまでも意識上で起きていることです。もし、それが意識上では処理がどうしようもなく「抑圧」してしまうと、無意識の中に閉じ込めることになります。誰の説だったかは忘れましたが、そうしたマイナス感情が無意識の中でこんがらがってしまい、簡単にはほどけなくなる状態が、その深刻化に伴い、コンプレックスという厄介な塊になると言っていました。


 私は、間違っていることは承知の上で、忘却と無意識を混同する傾向にあるようです。このまま忘れ去ってしまい、二度と思い出したくないという経験に絶対浮き上がらない重たい石でも乗せて、広大な無意識の海に放り投げたいと思ったこともたくさんあります。では、そん私に、何ができるのでしょう。何か役に立つのでしょうか。


 気軽に夢の内容を話してもらうのが、いいかもしれません。抑圧の末、無意識に埋没させた感情は、本人も知りようがありません。しかし抑圧した感情は、夢を通して実際に再現されるかもしれません。ただし、前と同じように出るとは限りません。正反対だったり、場面が大きく異なっていたりすることも多いでしょうが、どこかにヒントが隠されていると思います。


 それを独力で行うのは、やはり無理だと思います。伝える相手と自由気ままに、自分の思いにウソをつかずに話を進める中で、ハタと気づくことがあると思われます。チャンスは、いつ訪れるか、誰にもわかりません。また、話すのも大変なことでしょう。別の活動を取り立てて行うとすれば、絵を描いてみたり、創造的な作業をしてみたりすることもいいでしょう。


 ユングもフロイトも、理論構築のためには、自らが病に取り入れられるという、凄まじい経験をしました。統合失調症やノイローゼなどの苦しい精神世界に、飛び込んだのです。そんな病を乗り越えて、独自の理論体系は形成されました。本人はもとより、家族や友人たちの心労は、想像を絶する状況だったと、思います。


 それはさておき、試しに夢を話しに来ませんか?自分の無意識世界を眺めてみて、自由に思い浮かぶことを話すだけです。空を飛んでみたり、連想の結果、遥か昔のワンシーンにたどり着いてみたりと、現実と関わりあるかどうかは別にして、自由連想の世界に漂ってみるのも一興。ただし、迷信的なことは、お断りします。


 夢は未来に起こることとは、無縁です。もしも「正夢」を見たとすれば、それは単なるシンクロニシティです。夢に出てきたものは、どんなことかという「判断」もしません。単に、夢をカウンセリングの話題にするだけです。しかし、意外な発見があるかもしれません。一緒に楽しんでみませんか。今後、個別カウンセリングのメニューに加えようと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。


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学校心理士

​健康経営アドバイザー

髙  橋     

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