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海でのセーリング

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​⭐️noteに続きを載せました。どうぞ、お読みください!​ 雅号は「宇想月」です。

更新日:2023年6月11日

私の誕生日は、5月6日です。動物は外敵からを守る本能が働いて、だいたい夜中に出産するそうですが、私が生まれたのは、午後2時頃と聞いています。どうやら怖いもの知らずの気性は、生まれた時からだったようです。

 

 問題は、「こどもの日」の1日遅れだということです。もし、振替休日等だったらハッピーですが、ならない時は、ゴールデン・ウイーク明けの初日となります。ほとんどの人が、遊び疲れに休み疲れで、心身共にぐったりしています。また、生活のリズムを早急に修正しなければと、誰もがうんざりしています。そんな日に誕生日を迎える者の気持ちなど、理解してくれと言う方が無理な話ですね。

ね。

 

 年末に新たな年のカレンダーをもらった時、いつも翌年ゴールデン・ウイークあたりのチェックをしています。これは、子どもの頃から続いている「習慣」なのです。かつて、この時期は「飛び石連休」と呼んでいたはずです。4/29が「天皇誕生日」、5/3が「憲法記念日」、そして5/5が「こどもの日」で、土曜日は半ドン(知らない人も多いはず)、そして日曜日は休日ということで、祝日と日曜日の組み合わせにより、良くて3連休でした。

 

 そのため、5/6が平日の場合、極めてブルーな気分になりました。その朝の教室は、当然のことながら、どんよりとしています。度重なる欠伸の数々に「ああゝ、眠い」と愚痴だらけ。夜型の生活に順応した面々の不快極まりない姿ばかりの教室に、別の意味で不快な気分の私がいました。加害者は、カレンダー。この不満をぶつける相手は、いませんでした。子ども時代の、ブルーな記憶です。

 

 いつの頃か、日本人は働きすぎだという声が上がり、5/4を「国民の休日」と定め、週休二日制にもなって、連休の日数は増えていきました。いつしか、有給休暇の取得促進が求められる世になり、最近は「働き方改革」の一環か、今年など4/29〜5/7までの9連休になった人も少なくなかったとか。


 テレビなどで、現在就活中の若者が、口を揃えて「プライベートな時間を.....」と言うのは、勤務日と休日に優劣を付ける意思表示なのでしょうか。「働かざる者食うべからず」という言葉に代表されるように、「義務」と「権利」が社会人生活の両輪であることを踏まえて言っているのか、はなはだ疑問に思えてきます。


 さて、誕生日などという個人的ことは、年と共に縁遠くなっていきました。連休明けのダルい感じも、カレンダー通りには休日になどならない教員生活が長くなるにつれ、感覚が鈍くなりました。3連休にでもなると「練習試合三昧だなぁ」という声。日曜日に、私的に出勤しないと間に合わない仕事量。過労死レベルなど、軽くオーバーしている勤務状態についても、ネガティヴな感情を抱いたことなどありませんでした。


 52歳で教員を辞めて、ハンコ押し生活になった時、感情の鈍麻もどんどん進行し、平日と休日の境目すら曖昧になっていきました。かつての教員仲間たちは、過酷な環境で頑張っているなとは思いつつ、そうした感覚も停止に至りました。無駄で無意味で、潤いのない8年間でした。忙しくないことや休みが多いことは、仕事の良し悪しとの関係性が極めて薄い。37年間をかけて、見出した結論です。


 62歳を迎えました。組織の一員として仕事をすることの「終活」を考えるようになりました。理想を言えば、誰にも雇用されないで仕事をしてみたいです。そこで、とりあえずカウンセラーを選びました。私が唯一身につけている社会的スキルです。


 手に職がある人たちが、とても羨ましいです。改めて思うのは、「職人さんは、かっこいい」ということです。また、「資格」の重要性は、生まれて初めて訪れた職業安定所の求人で、とことん思い知らされました。年齢オーバーで手に職のない私は、稼げない存在として冷たい扱いを受けました。


 さて、何年後の5月6日まで、仕事に就いていられるのか。漠然とした不安感は、ずっと漂っています。子どもの頃とは全く異なりますがこの年になっても誕生日は、やはりブルーな気持ちになる日です。働くことで満たされ、実現に近づけるべき「夢」を明確化せず生きてきたことが、大きな失敗なのでした。


 私の夢の仕事は、マスコミでした。矛盾だらけの日本にメスを入れて、世を良い方向に向ける。そんな野望をもっていたバブルの時代。しかし、現実は真逆をたどってきました。再び夢への挑戦を考えてみても、残り時間が障壁になり、時既に遅しの境遇ですね。しかし、この年で自分らしくできることは何か。まだまだ、探し求めるつもりでいます。


 我が辞書に「悠々自適」という言葉は、載せられていません。私にとって、「ハピネスは仕事にある」と、再び思い直したところです。さて、この思いはいつまで続くやら。こうして迷ったり立ち止まったりして、生きてきました。そのため、なかなか前に進みません。ナツメロの歌詞「3歩歩いて2歩下がる」が、象徴的な言葉に思えてきます。


 同じような思いで過ごしている方、想像以上に多いと思いますが。さて、社会人38年目はどんなことがあるか、期待するのみです。夢は叶えてナンボですよ。



追記:どうも作文スランプです。読み返してみると、納得のいかない表現や組み立てが多いですね。文章力も老化するのでしょうか?読んでくださった方には、ただ感謝するのみです。




 


 






 


 


 

 

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学校心理士

​健康経営アドバイザー

髙  橋     

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