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海でのセーリング

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​⭐️noteに続きを載せました。どうぞ、お読みください!​ 雅号は「宇想月」です。

更新日:2024年1月21日


 思えば、ストレスに鈍感だったと思います。毎朝7時前に出勤、午後9〜10時頃に退勤。半ドン時代は、午後練習に翌日練習試合。学校という一種独特な職場を好きにも嫌いなることもなく、「スポーツは体に悪い」が口癖でしたから、今で言う「過労死」レベルだったのにも何ら苦痛らしきものも感じない生活でした。


 一般に残業という言葉が通用しない職場ゆえに時間を公私で分けるという考え方さえなく、その果てには、働いている感覚さえもっていないぐらいでした。正常でなかったことは、紛れもなく事実でした。こうして勤務時間をを意識する感覚は、転職するまでありませんでした。


 小学校低学年を担任した経験のある先輩から聞いた笑い話です。この年代での「みんな」という存在は、自分の目に入る人たちの全員のことです。ある日、気が緩んでいた指示、「みんな、明日まで〜を持ってきてね」「はーい!」で、全員が忘れて罪の意識すらない状態だったという話を聞きました。つまり、ここで言うところの「みんな」は、自分以外の人たち「みんな」ということになるのです。


 長い前置きになり恐縮ですが、私のストレスに対する捉え方も同じようなもので、みんなが忙しく、みんな仕事に苦しんでいる中で、自分の問題として感じてはいなかったのです。まあオメデタイ奴と言われたら、その通りでした。


 新卒で訳のわからぬ世界に飛び込んで、自分たちに、休日は与えられないものと、納得している自分がいました。年次休暇を取得するということも、自分には関係ないことだとも、思っていたぐらいです。


 忙しさにストレスを感じることもなく、中途退職しました。しかし、転職してからの8年間は、暇と称するストレッサーに、酷く苦しめられました。上限は、前職の1000分の1であり、最初の1ヶ月は「解放」感、次の1ヶ月は「開放感」を味わいました。何と午後5時ジャストには、退勤するんです。しかし、この心地よさは2ヶ月で終わってしまいました。残ったのは、遅々として進まぬ時間との闘いでした。


 ある日から、メモ用紙に「正」の字が並び始めました。文句を言う相手もいません。ただ、そこに座っているだけというだけで、歯ぎしりの音が聞こえてきました。暇つぶしにも、限界があることを知りました。転職して最大のストレスが「暇」だったという、実に皮肉な結果になりました。毎日同じで、毎年も同じという絶望的状態です。そう思うと、胃が痛いような気がしました。運良く定年退職できたと、今も思います。惜しかったのは、時間です。元に戻りません。あのままで居たら、じわじわとうつ病になっていたことでしょう。助かりました。


 いつの頃からか、人は何のために働くのかという命題をもつとともに、ストレスを自分の問題として考えるようになりました。ノン・ストレスこそが地獄だと、断言できるようになりました。老後にのんびりなんて、空想の世界の産物だと知りました。当初思っていたことと、真逆の出来事との出会いばかりでした。暇を持てあますことに耐えられなくて、自ら動き始めました。思うに、社会人になってから、自分のすることを自力で考える初めての経験でした。それが心理学の勉強でした。今までの人生で、自分の意志で始めた唯一のことでした。


 秋田市で行われている産業カウンセラーの講座にも通いました。鈍重になっていた「傾聴」の力も戻ってきました。私以外の参加者は、話を聴くトレーニングではなく、個人的事情を話して共感を得たい人たちばかりでした。同じ金額だと20回以上もプロのカウンセラーに診てもらえるのにと思いつつ、途中までお付き合いしましたが、ついていけなくなって退会することにしました。


 ネット・サーフィンの如く、あれこれと勉強し直しをするようになりました。ある日、ストレスチェック制度の話を聞きました。私には知らない世界です。というのは、2014年に中途退職して、この制度がスタートしたのは、翌年の2015年からで、検査そのものを受検したことがなかったのです。つまり、従業員50名未満の事業所に転職したということです。


 この制度について質問された誰もが、不快そうな顔で「フン、あんなもの」「ああ、お役所の差し金ねえ」といったリアクションをするのが不思議な感じでした。何かプレッシャーをかけられているのかというと、特にそんなこともなく、年に一度のアンケートに回答して終わりという、軽く捉えている人が多かったと記憶しています。私自身も、年に1回だけの質問紙で何がわかるのか?そんなことなんて、いつでも楽ちんに誤魔化せると言うような程度でした。


 また、個人的に送られる結果も、一番当たり障りのなさそうな回答をしたので、興味関心ゼロで、結果の通知もを見ないでゴミ箱ポイという人が、異様に多かったことも、当然のことだと思いました。自分がどれだけのストレスを抱えているかを知ることは、今の世に必須の考え方でしょう。しかし、こんなやり方では、統計としての信頼性に欠けている上に、その結果で心動いたりするはずがないと思います。


 また、ストレスフルな状態に気づいたら、それが悪性に変異しないように、できるだけ解消していく手段を考えることが、必要なのだそうです。例えば、散歩や軽運動など。それで消えるストレスならば、放っておいてもいいんじゃないのと、意地悪な質問をしたくなります。


 かつて、他の人たちに高ストレスだと思われていた仕事は、3年生国語5クラスを担当した際、1年間で定期テスト5回と高校入試対策業者テストを10回、計15回の採点が課せられたことでした。どのテストでも、1回につき8時間以上費やします。必ず翌日に返すと言ってしまったので、どんなに早くても、採点終了・Excelに記録で、午後10時半になります。


 かつての私にとって、低ストレスな作業になります。すなわち、ストレスの強弱は、人それぞれということです。正解なら丸印、不正解ならバツ印の単純作業を無心に続けていけばいいのですから。そんな作業から面白味を見つけた時、やりがい(?)を感じます。


 自分のクセを自分で発見した時は、何であれ興味深いものです。逆に、そんな単純作業でストレス発散していると思うこともありました。ここまで書いて気づいたことは、人の参考にしてもらえないことを、脈絡もなく語っている自分です。


 自分を客観視するということが、ストレスを和らげる方法だというとが、正しい考え方だそうです。ストレス発散の方法は、私にとって散歩ではなく、果てしなく続く単純作業だったに過ぎません。ここで、顔をしかめる人が、多数出てくるはずです。


 結局は、私の一番のストレッサーは、何もすることがない状態に拘束されることです。これには、同感してくれる人も多いことでしょう。今の勤務先は、スタッフ間の人間関係も薄くて居心地がいい所です。そして、日々のルーティン・ワークは、ちょうどいい労働量なのでしょう。しかし、ストレスは軽すぎるというような本音は出さないようにしています。


 読了時間も嵩んできましたので、ストレスに関する「四方山話」は、打ち切ります。この話題に関しては、できるだけロジカルな文章による第二弾を書こうと考えています。雑談にお付き合いいただき、ありがとうございました。


 



 上の写真をご覧ください。給食に、カレーライスが出て、ゆで卵、春雨サラダ、キウイフルーツが添えられています。コップには、牛乳でしょうか。よく観察してみると、何か不自然なところが、明らかになってきます。

 

 スプーンが、小さいのに気づかれた方も、多いかと思います。幼児用の給食なのです。お盆は、ちょうどA4サイズ。時刻は、午前10時30分頃。私の役割だった「検食」、つまり毒見用なのでした。食べた後に「検食簿」に評価を書くのですが、「おいしくいただきました」という常套句の後は、全て誉め言葉でした。


 中学校勤務の残り数年間も、同様の役割を務めていました。4校時の授業がある日は、大急ぎで職務を果たしていました。検食簿記入も含めて、5分間のタイムリミットをこなしたものです。あっという間に、ベルトの穴を次々とゆるませることになりました。


 前置きは、このぐらいにして、私の卒業論文は「秋田県由利郡仁賀保町における学校給食の変遷に関する考察」でした。ウソのような本当の話ですが、これには、情けない言い訳があるのです。


 2年生の終わり頃、所属ゼミを決めなければならなくなりました。私は、バイトに明け暮れていて、大学とは少し疎遠になっていました。後から聞いた話では、マスコミ系の就職にコネがある先生に、希望者が集中したとか。結局、希望者が少なかったゼミに割り当てられました。助教授の先生の教育史のゼミでした。


 研究したい分野もないので、困りました。先生から、まだ手を付けられていない分野を紹介されました。呆れ顔で「鉛筆、机椅子、給食」の三択と話され、「給食」を選んだということです。先生とは、その後、河川敷ゴルフ場に行くという付き合いになりました。


 また、参考文献を調べていただき、東大の図書館で一冊だけ借りることになりました。そして、安田講堂地下の学食にて、絶品のビーフ・ストロガノフを食しました。世の中には、こんなに旨いものがあるのかと、驚きました。ただし、学食日本一は、母校の学食です。一般人歓迎ですので、ぜひどうぞ。


 論文の概要は、今では笑って誤魔化すしかありません。参考文献で、「ララ物資」を知りました。敗戦国の日本が、アメリカから貰っていた食材のことです。大量の小麦粉とスキムミルクで、本当は家畜のエサにする物だったのでした。なぜ昔の給食は、ボソボソしたコッペパンが多かったかが、これで明らかになりました。


 そして、本論は、自校式給食とセンター式給食を比較するという内容でした。両方を経験済みの学校栄養士さんのインタビューをして、2つの方式の給食をいただくという、陳腐な内容です。当然のことながら、車で各校に輸送するセンター式の方が、デメリットを抱えていることを確認した次第です。


 そして、結論は単純で、自校式の方が美味しいという内容を膨らませられるだけ膨らませて規定枚数まで書きましたもちろん、大学指定原稿用紙に手書きです。修正液だらけの一冊が、出来上がり、何とか卒業することが、できました。指導担当の酒井先生と栄養士の方にいただいたご恩は、一生忘れません。


 学校給食や学生食堂、そして社員食堂は、実にありがたい存在です。今、自校式給食がなくなりつつあります。その良さは、大鍋と格闘されている調理員さんたちが、生み出していると思います。


 最後に勤めた学校のカレーライスを一例とします。まさに絶品でした。どうやら、調理員さんの発明だそうで、極秘事項として、教えてもらえませんでした。最近は、食育が重視されています。私には、「愛情の匙加減」という表現に聞こえます。だから、栄養たっぷりの美味しい給食になっていると、信じます。


 では、卒論の証拠を示して、本稿の終わりにします。昭和60年に書いた受領証一枚が、アルバムにありました。



※下手な字で失礼します。〆切日時に滑り込みセーフでした。あら、恥ずかしや。





更新日:2024年6月28日


 上の写真のバックに映るのは、金食い虫の最後にやらかした自動車。手前の自転車は、かつてやらかした身の程知らずの「乗らないロードバイク」です。メーカーは、昔々にメジャーの自転車レース「ツール・ド・フランスの今中大介氏のブランド「インターマックス」で、最軽量カーボンフレームの「Air One」をセレクトしました。大奮発してしまいました。


 それ以外のパーツは、プロが選んで、プロが組み立て調整した「本物」で、ホームセンターなどで売られている物とは、全く違う代物なのです。完成車は、8.2kgだと記憶しています。ちなみにクロモリ(鉄)フレームのママチャリなどは、だいたいこの2倍の重さになります。これが私にとっては、2台目のロードバイクです。


 ロードバイクは、スキーなどのように、ビンディングで専用シューズを両足ガチャリと固定して走ります。外す瞬間を誤ると、ビンディングに固定されたまま、バタンと倒れてしまいます。もしも転ばなかったら、間違いなく首相になっていた谷垣氏も、残念ながら自転車事故で表舞台から退かれました。本当に、お気の毒なことです。


 スポーツ自転車は、いろいろな常識を覆してくれます。まずは、1回の走行距離ということですが、30kmは「ごく普通」の距離です。まあ、マラソンの42.195 kmなどは、楽に走ることができます。速度は、時速60㎞で軽自動車を追い越したことがあります。それでも疲れない乗り物なのです。

 

 また、自転車にヒルクライムも盛んで、毎年7月末には、「矢島カップ Mt. 鳥海バイシクル・クラシック」が行われ、全国規模の大会のひとつとなっています。これに参加しようとしましたが、トレーニング不足に命の危険を感じてやめました。全長26km、高低差1100mにはビビります。しかし、ほとんどの人が完走すことができる、楽しいヒルクライム・レースだと聞きました。


 まず、自転車の乗り方について。自転車は、ハンドル、サドル、ペダルの3点で体重を配分する乗り物です。高校生でも、サドルに体重のほとんどを掛けて、ガニ股で漕いでいて、実にカッコ悪し。理想の乗り方をすることが、大切です。また、漕ぐという動作ではなく、後ろに引く動作をします。ケイデンスと呼ばれる、回転スピードの理想は、1分間に90回が、理想とされています。更に、足に負担をかけないように、適切なギアチェンジをします。前が2段に後ろが10段、変速のタイミングもテクニックのひとつになります。要するに、身体の消耗を抑えるのが、ロードバイクなのです。


 これで50kmぐらいの平坦な道を走るのは、朝飯前です。ガニ股乗りでは、とても無理な話ですね。手の届くフレームの位置に、ドリンクホルダーを2ヶ所。専用ボトルには、硬水とハイポトニック飲料の2種類を入れて、喉が渇きそうな予感がしたら、すぐに飲みます。それぞれ、ちゃんとした理由があるのです。


 正しい姿勢で、メーターでケイデンスを毎分90に保ち、水分+パワー補給をすると、100km走る人も少なくありません。火野正平さん出演するNHK Eテレの「にっぽん縦断・こころ旅」という番組は、ひとつの理想形です。ただ、ビンディングは、してなかったと思います。


 例の谷垣氏のこともあり、小石ひとつを踏むとスッテンコロリンするロードバイクに乗るのは、やめました。そんな危ない年齢になったということで、免許返納したような思いがあります。1台目は、散々乗りました。しかし、高額で購入した2台目は、10kmも乗っていない状況です。所有して眺めることで、自己満足したからだと思います。


 ロードバイク本体以外に、壁にバイクを設置する突っ張り棒式のキャリア(下部写真)、フランス式バルブの空気入れ等、実に多大な出費をしてしまいました。今は、キャリアからも外して室内保管中。インテリアのアクセントになっていますが、実に勿体ないことです。


 今欲しいのは、高速大容量のパソコンです。できれば、MacBookがいいのです。そこで、無用の長物と成り果てた、自転車を売ろうと決心しました。価格は、15万円。ネットのフリーマーケットだと、値段がもっと跳ね上がることでしょうが、まずは「ジモティ」というサイトにて、東北エリアに絞ってみました。しかし、日本海側での自転車シーズンは、ごくわずかなので、需要も少ないため、まだ手元にあります。


 大量生産品ではなく、サドルひとつであっても吟味した世界で1台しかない稀少車です。買ってから、アクセサリーにも凝りまくりましたので、かなりお買い得かと思います。必要ならば、読み漁った本も進呈します。また、普通のペダルに付け替えると、快適な通勤車にもなり得ます。カッコいい通勤スタイルですね。


 遠隔地の方は、どうやら¥18,500の運送代がかかります。それは、ご負担いただきたいと思います。なお、オマケは直接渡しの方のみにさせていただきます。送料が、かかるためです。しかし、要交渉!送料無料でもOKですよ!


※トップチューブ長55cm。

※私の身長は、179cm。175cm前後に適合。実際に試乗するのが一番だと思います。

※体重80kg以上の人は、乗られません。

※軽トラや5ナンバーのワゴンで輸送可です。

※同じフレームに出会う可能性は、僅かです。

※ギア等のシステムは、日本のシマノというメーカーの「アルテグラII」です。廉価版のバイクには、だいたい「105」が付いています。

⭐️純国産車の信頼度は、当然ながら高いです。


 稀少車のAir Oneは、一体誰に嫁ぐのでしょうか?花嫁の父の心境です。綺麗に磨いて、お渡し致します。不束者ではありませんが、よろしくお願いします。


 

おまけです。ミノウラという日本メーカーの製品です。結構高かった記憶があります。バイクが2台下げられます。かっこいいですよ。


追記:2024年5月、おかげさまで販売完了!

  ジモティさんに感謝!

015-0864

秋田県由利本荘市大鍬町 117-2

 

学校心理士

​健康経営アドバイザー

髙  橋     

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