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海でのセーリング

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​●本文中に、意味不明の改行等、不適切な表記があります。フォント、文字サイズを調整しつつ、なんとか最も小さなトラブルにしてありますので、ご容赦ください。順次、新作を載せていくつもりです。「面白くてタメになる」内容になるように、努めたいと思います。読了時間が、4〜6分程度の「エッセイ」として書き綴る予定です。誤字等あるかもしれませんが、これまたお許しいただきたいと思います。

​⭐️noteに続きを載せました。どうぞ、お読みください!​ 雅号は「宇想月」です。


 今は昔。テレビは見るもの、ラジオは聞くもの、新聞や雑誌は読むもの。庶民は、マスコミに対して、あくまでも受動的な姿勢でした。


 マスコミに憧れ、大学4年生の就活では、放送局や新聞社、果てはエッチな雑誌社まで、受けまくりの落ちまくったものです。と書くと聞こえがいいですが、正直に書くと「門前払いを喰らった」というのが、正直なところです。


 私の所属は、JALPAKと呼ばれる二流、三流グループの大学でしたから、採用ランク外であり、いろいろな面の「コネ」もなかったので、内定をもらうなど、夢のまた夢でした。某教授のゼミで評価されると、某テレビが待っているという情報など知らず、情報の発信者には、なれませんでした。


 しかし、誰もがスマホを持っている今は、プライベートな発信が溢れかえっています。そのツールのひとつであるYouTubeには、驚かされます。テレビなど、定時のニュースを見るぐらいであり、新聞購読もやめました。


 マスコミから発信される情報が、断片の切り取りであり、世論を煽ることなく、オブラートに包まれた内容ばかりですから、ネット情報に引き込まれるのは、当然です。誰かの発言の責め立てるところだけ残して、前後をなかったこととして切り取るやり口には、うんざりしているのが、実態と言えます。


 テレビでは言えないものの、ネット上では言えるというセリフは何度も聞きました。それでも、ネットなりのルールがあるそうで、一応襟を正して制作されているようです。お馴染みのYouTubeは、入眠儀式として見る習慣になっています。まず、検索によって、見たいジャンルの動画を出してみると、何でも検索結果が表示されます。驚くべきことだと思います。


 しかし、検索で指定したこと以外も、なぜか表示されます。この検索外れの番組の中に、面白い動画があることが多いです。YouTube歴がたった7年の私には、不思議な世界です。玉石混交と言うに相応しく、ただ一定時間、自分の思いをまくし立てるだけの、勘違い自己満足動画も多いのも事実です。


 これは続けて見たいとなれば、登録します。継続しているのは、高級中古輸入車販売会社の「ロペライオ・チャンネル」です。特別な演出はなくても、商品である輸入車の披露だけで興味深い内容を誇っています。私も車だけには贅沢していますが、価格が1桁違う車の紹介を見るのは、実に面白いことです。


 時には、勉強の一環として見ることもあります。河合隼雄先生の最終講義など、聴講生の気分で見させていただきました。また、早稲田メンタルクリニックの益田氏による精神医学の小講義も興味深いです。これにより「心=脳」という割り切り方に目から鱗状態になりました。


 また、堀江貴文さんの頭脳明晰な点に、感心させられました。彼に関する知識が、あまりにも断片すぎて、恥ずかしく思うことも多々ありました。彼が追究しているのは、物欲、名誉欲ではなく、「おもしろさ」だったのでした。生きることそのものを楽しもうとする姿勢は、真似したいです。


 既存のマスコミは、衰退の一途を辿っているとか。我が家も一時期は、朝日と秋田魁の2紙を取っていましたが、今はゼロ。活字中毒すら撤退するのですから、購読数が減少するのは当たり前ということになるでしょうね。


 テレビ番組も、人ばかり多いバラエティ番組で、視聴者より内輪ウケ番組が多くなっています。ですから、観るのはWOWOWの映画やグランドスラムということになります。また、アナウンサーの日本語力にも首を傾げることも少なくなく、「〜して参りたい」という怪しい敬語を使うお偉いさんの話なんて何も聞く価値なし。離れるのは、ごく自然なことでしょう。


 InstagramやFacebookにも、一応加入しています。どうやら「友だち」が欲しい人が多いようで、ネットによる「文通」が流行しているが如き様相です。または自己顕示欲の発信方法のひとつとも言えます。何だか、人と対面せずに親しくなりたいという考え方が蔓延しているようです。これは、果たして好ましいことなのでしょうか。その良し悪しを云々する気は、もうありません。


 うら若い人たちと時間を共有して、そこでの会話を聞く(聞かされる)日々。感じるのは、人としての個性を感じられないことです。ニセ東京弁による会話も聞きづらく、ボキャブラリーも貧相で、一斉に「カワイー!」と地声で騒ぐのが関の山。この「カワイイ」の意味は広く、同意の意思表示として発する言葉のようです。


 若者言葉を否定する気持ちは、さらさらありませんが、おそらく年を取っても、発する言葉は、「カワイー!」のだろうと思います。日本語の語彙が乏しいのは、いかがなものか。求められるべき発信力がないのはねえ。


 そんな偉そうなことを言っている私の世代に生まれた俗語のひとつが「ダサい」でした。その語源は、同じような語彙レベルから来ています。ファッションも「ハマトラ「ニュートラ」と、個性的とは言い難いものでした。学校の制服と、ほとんど相違点はありませんでした。


 さて、このブログを書くツールとなっているスマホの発達は、目を見張るものがあります。高校生からひとりに1台という状況でしょう。私は、iPhone出始めからのユーザーですが、こんな高度なオモチャになるとは、想像すらできませんでした。


 昔は、社会人としての信用度にも関わっていた家庭用電話機は、用件の99.999%がセールストークとなり、使うこともありません。いわゆる「家電」がなくても、何の問題もなくなりました。これで、電話による「行動制限」はなくなりました。いいことだと思います。


 さて、このネット社会にタイムスリップが起きて、家電と公衆電話だけの世界になったら、どうなるでしょう。ネットのつながらない無人島に、ひとり置き去りになった時、何を持って行くかという質問に、どう答えるでしょうか?そんな質問でもいいでしょう。情報過多社会が一瞬にして、マスコミ受動社会の変貌した時、人は何を考え、行動するのでしょう。


 初期的な大混乱はあるにせよ、諦めムードを経た後、人はいろいろな人たちとの出会いを求めて、現実社会を歩み始めることでしょう。そこは思ったより佳き世界だと思います。知らぬが仏と言いますが、余計な情報が入ってこない気楽さを満喫するでしょう。懐かしき駅の伝言板も復活して、今や古語と成り果てた「待ち合わせ」文化がよみがえることでしょう。


 どちらの経験も有する者としては、昔の不便さに懐かしさを感じ、豊かな文化を思い出します。例えば、琴線を刺激する昔の歌は、良いものでした。「ダイヤル回して、手を止めた🎵」などの名曲で、電話機のダイヤルは回す時代は何と佳き時代でしょうか。


 私たちは、何か大切なものを捨てて、新しさに飛びついています。うなづいてくださる人たちも、少しはいると信じたいです。




 



 

更新日:2024年2月25日


 これが通称「名古屋撃ち」と言います。高校生の頃でした。ゲーム機は、喫茶店のテーブルに組み込んでありました。汽車通(!)だった私たちは、駅前の喫茶店に入り、何人かでテーブルを占拠して、ゲームに興じていました。当時のゲーム機は「公共物」であり、今のような個人の所有物ではありませんでした。


 ど田舎の国鉄は、普通列車が2時間に1本しかないので、そこを核として流行していたのもです。最終的には、某喫茶店を貸切状態にして「本荘高校インベーダーゲーム大会」が催されました。自慢話が大恥をかきますが、私は自称「名人」で、1回100円で2時間以上も続ける技を持っていました。


 私たちが、県下3番目の進学校を没落させた張本人です。勉強しなければ、こうなってしまうという見本になり、悪い手本ともなったわけです。ゲームにとどまらず、バンドや麻雀などなど、悪い誘いを次々と受けました。学力は、どんどん落ちました。それに比例して、心もどんどん幼稚化していきました。


 世は「受験戦争」と呼ばれる状況でした。大学に進学し、卒業・就職したら、1台45万円ぐらいと言われていたゲーム機が組み込まれていたテーブルを買うぞと、本気に思っていました。しかし、ファミコンの登場により、ゲーム機は個人の所有物となり、給料でインベーダーを買うなんていう、幼稚な夢は消えました。


 大学生になっても、ゲームセンター通いは続きました。カー・レースのゲームにハマりました。そこでも持ち前のナンバーワンの実力を発揮して、自己満足の塊になりました。当時のゲーム機のプログラミングは単純で、インベーダー同様に、意図が読めてしまうほど単純でした。そのため、私なんかでも名人級になれたということです。


 長い時は過ぎ、いい年になってから、ゲームを再開しました。スマホゲームです。きっかけは入院して、時間を持て余したかたらです。スマホのAPPショップには、数限りないほどのゲームがあります。高度なプログラミングによるゲームが、簡単に手に入る時代になっていました。まさか、超小型PCを持ち歩くなんて、夢にも思わなかったことです。


 選んだのが、やはり麻雀ゲームでした。いろいろ試してみましたが、KONAMI社の「麻雀格闘倶楽部sp」に落ち着きました。麻雀のゲーム性が、実に上手くプログラミングに反映されています。始めてから、5年もの月日が過ぎ去りました。アップデートを重ねていきながら、対戦相手のレベルも向上していきました。


 ゲームの性能はというと、プログラマーの癖というか何というか、当初はどこか素人っぽさを垣間見ることが少なくありませんでした。あまり起こり得ない手があったからです。例えば、七対子が頻発していたことです。通称「ニコニコ」は、見た目は単純ながら、テンパイするのが結構難しい一手です。そこで、問題点を指摘してあげたら、通常起こり得る頻度に改善されて、信用度も上がりました。やはり一流メーカーだと思いました。


 また「九種九牌」なども起こったりして、リアル感を上げようとする姿勢に好感をもちました。APPストアに麻雀ゲームは数々あれど、さすが大手ゲームメーター。他のソフトとは天と地の差がありました。本物志向は、賞賛に値します。また、1日1回ログインすることで、半荘分のゲーム権プレゼントあり。これが嬉しい特典と言えます。


 この5年余り、課金0で過ごしてきました。ゲームやギャンブルにアツくなる私の衝動抑制効果は、抜群でした。思えば、高校生の分際で、毎日喫茶店でコーヒーを飲み、加えて100円分ゲーム機に金を使うなど、勉強もせずに自堕落な生活を送っていたものです。ゲーム遊びは、生産性など、ゼロです。それに、お金と時間の浪費に他なりません。


 仕事や勉強の息抜きなのなら、いいでしょうが、そうした割り切りができないのが弱いところです。何事も依存症的な状態に陥る悪癖がありますので、大学卒業とともに、ギャンブル系はもちろん、ゲームもキッパリとやめてきました。しかし、暇つぶしのために、スマホゲームを再開してしまいました。


 自分が弱い人間であることを、依存症は教えてくれます。それもまた良い経験ではありますが、ならない方がいいに決まっています。まだマシなのは、活字中毒でしょう。ハルキスト(村上春樹中毒)だった頃、長編小説を徹夜で読み切ったこともありました。


 人それぞれ、何らかの依存症(中毒)を患っているのが、現代社会だと考えます。言い換えれば、ストレス軽減手段です。逆の捉え方だと、「没頭」できることであり、必要悪だとも言えます。せっかく一度切りの人生なのですから、夢中になれることや心から楽しめる何かが必要でしょう。


 それを世間では「趣味」と呼んでいます。現在、現役で仕事をしている人には、趣味に没頭できる生活に憧れている方も多いでしょう。現役から退いたら、あれがしたいこれがしたいと妄想はどんどん膨らんでいくでしょう。


 しかし、多くの人が、無趣味である現実に悶え苦しむことになります。4月以降、昼日中のスーパーマーケットやドラッグストアで、動線が不自然なオヤジさんたちをよく見かけます。こんな時間に、優雅に買い物をしているのではありません。するべきことが、買い物ぐらいしかないのです。


 よく見ると、その目はうつろです。長年に渡り勤め上げた男の末路です。男って哀しい動物ですね。また、パチンコ屋の駐車場も、たくさんの車が駐車中。パチプロなき世になって、天釘等のテクニックが通用しない場で、真昼間に何を考えて打っているのでしょうか。


 もうすぐ老齢者が人口の30%を超えるそうです。少子化対策など、実現不可能な議論を耳にします。秋田県の人口も100万人を下回ったそうです。年金も70歳支給開始になるとか。年寄りの生きにくい社会になるのは、必至と考えられます。


 ここ由利本荘市内の道路は、あちこちで拡幅工事が進み、だだっ広い道を行き交う車だけの街になっています。仕事上の散歩をして、この寒々しい景色を眺めるだけです。暇とは、苦難と思うべきです。安い時給なれど、仕事があるありがたさを感じる今日この頃です。


 何とか、社会との導線が切れずに生きていきたいと思います。老後という言葉は、我が辞書には載っていません。よろしいですか?退屈ほど苦しいものはないのです。また、楽しみなんてなかなか見つかるものではありません。


 

 


 

更新日:2024年7月6日


 前回は、ストレスに関して自分勝手なことを書き連ねました。変なオジさんの代表格を自認する私の「戯言」につきあっていただき、ありがとうございました。今回は、面白半分ではなく、ハーフシリアスで書こうと思っておりますので、よろしくお願いします。


 唐突ですが、ストレスとは何でしょうか?一般的には「嫌だ不快だと感じられること」「心も体も疲れさせる事柄」というような回答が寄せられると思います。しかし、その定義について、明確に答えられる人は、あまりいないのではないかと思います。


 ストレスの定義付けをすると、外部からの刺激などによって体の内部に生じる反応のことだそうです。元々ストレスは、物理学の学術用語だったのが、自然科学への時流に乗って、精神医学や臨床心理学にも用いられるようになったそうです。繰り返しますが、ストレスは外部からの刺激なのです。内的世界から湧き出てくるものではないことを、強調したいと思います。

 

 当然のことながら、刺激は脳という臓器を通過しますから、ストレスを過剰に受け止めて処理しなければならないとすれば、脳という臓器も疲れてしまいます。ストレスが、ダメージを加えている対象を心と考えると、物事が急に曖昧化されます。そのため、精神とか心理といった目に見えないものに対する疑念が生じて、それらの存在に対する疑念が拡大していきます。


 私はもちろんのこと、ストレスは気持ちの問題だと決めつけている妙な精神論をもつ人は、大きな誤解をしています。昔々のスポ根論に基づく「そんなの気持ちの問題だ」と軽んじる頑なな考え方は、まだ日本に蔓延っているようです。今となっては、世の迷惑になり果てている存在です。その典型例となる、私のようなストレスと縁の薄い私のような人間は、希少種として扱われるべき超鈍感人間なのでしょう。


 YouTubeで連続配信をしている精神科医は、「ストレス過剰に気づくのも、ストレス過剰に対処するのも、非常に難しい」と、脳科学の観点から言っていました。ストレス過剰の状態の根幹は、気のせいではなく、「脳疲労」が起こっているからです。心と呼ばず、ズバリ脳と言い換えることで、急に物事がスッキリします。


 脳疲労によって、どんな「症状」が出現するか、次にその典型例を示してみます。


①睡眠トラブルが起きる。なかなか眠れず、夜中や朝早くの用もない時間に目が覚めて、そのまま眠れず、起きなければいけない時刻になってしまう。当然、職務等への集中力は弱まる。


②食事を美味しく感じられず、食べ物自体の味を感じないので、楽しめずに義理で食べている状態になってしまう。食事を楽しめなくなる。


③ヘトヘト状態で、気持ちまで沈んで暗く、物事をプラスの方向に考えられなくなる。朝起きた時、退勤後と同じような疲れを感じる。


④自分の考えがまとまらず、イライラする。また、未来に不安しか感じられない。良くないことしか考えられない。


⑤自分は価値のない人間だと思う。自分を否定することばかり、頭に浮かぶ。自分の良さについてなど、考えられない。


 こうなってくるよ、限りなく「うつ」に近い状態だと思われますが、ストレス過剰がもたらす脳疲労の結果です。しかし、睡眠に関する不具合として現れる脳疲労の状態に対処する最も基本的な方法が、休むこと、すなわち十分な睡眠を摂ることだそうです。ストレスによる不眠症状態の有効な回復法が、十分な睡眠だというのは、実に皮肉な取り合わせだと思います。


 高ストレスによるメンタルヘルス不調の予防策のひとつとして、自分の状態に自力で気づき対処する「セルフケア」が提唱されています。ストレスに気づき、好きなゲームでもしてストレス発散などという、軽微な問題ではなく、独力でできることも、限られています。そのため第三者による、適切な対応が必要であるのは、明らかだと思います。


 このように、病を「不調」という当たり障りのない言い方で済ますのが、お役所のいつもの手です。抑うつ状態を自分の力で治せとは、乱暴過ぎる物言いです。まずは、提唱者自身によってストレス自体を正しく理解されることが、必須課題と考えなければならないでしょう。


 本来、自らストレスに気づくのは、至難の業とされています。その手がかりが「飽きてしまうこと」とする精神科医がいます。飽きるということは、集中できない状態です。ストレスを本能的に回避する現象だとするなら、納得できるでしょう。飽きが来たことには、誰でも「気づく」ことができるでしょう。


 こうした自己理解の基礎基本的内容を、セルフケアでの教育研修で、ちゃんと教えているのかどうか、はなはだ疑問です。集団に対するレクチャーでは済まないことだと思います。おそらくは、知識先行型で、具体的行動がすっぽ抜けている状態が推測されます。


 また、YouTubeの精神科医は「うつ病は、ストレスマネジメントの失敗」と断言していました。躁うつ病、統合失調症もまた然り。要は、脳疲労になってしまう前に、ストレスをどう処理するかということです。時には自殺念慮まで抱かせ、実行に至る場合もありうるストレスをいい加減に扱ってはならないということです。


 理解しにくい文章で失礼しました。しかし、事業場の経営者及び運営者という重責を背負っている方々が、この厳然たる事実をご理解いただいているのか。素朴かつ深刻な疑問が生じてきます。また、国から命令されたストレスチェックを、やればそれでいい存在と捉えはいないでしょうか。また、ストレス過剰は命に関わる大問題であることを、どれほど深刻にお考えでしょうか。とても心配です。


 おそらくそこには、命を軽んじるが如き驚愕の事実があると思います。私は、Uターン組の一人ですが、止むに止まれぬ家庭の事情があったからです。今も、県外に就職、進学した人の多くが戻ってきません。その理由は、人それぞれでしょう。しかし、阻むものは共通していると思われます。


 帰省した時に、いつも感じるのは、空の低さでした。そして、弱い陽の光でした。これは、明らかに心に良くない作用をします。秋田県人は、ウェットです。かつては、自殺数全国一位の県でした。私たちは、こんな場所に住んでいます。Aターンが進まない原因の、ほんの一部です。また、少子高齢化がフルアクセルになっています。やりがいのある仕事もありません。若者が楽しむ場所すらありません。


 気候や環境だけで、物を言うつもりはありませんが、配慮ある人間関係のコミュニティを感じられないのが、我々の住む地域の特徴です。仕方なく住んでいるというのは、言い過ぎとは言えないかもしれません。心が病んでいる地域だと言っても、反論は少ないでしょう。


 ここは、田舎なのにストレス過多な地だと思います。更には、ストレスをはじめとした心の問題に無関心で無知な人が多いとも思います。体の不調を心配するのと同程度かそれ以上、心の不調に目を向けてください。そして、元気な心で生きてほしいと思います。




 

015-0864

秋田県由利本荘市大鍬町 117-2

 

学校心理士

​健康経営アドバイザー

髙  橋     

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