- Toru Takahashi
- 2024年2月27日
- 読了時間: 4分

中学校の国語を担当していましたが、初任校では、教育出版の教科書で一番興味をもった題材が、正倉院に所蔵されている絹織物「獅子狩文錦(ししかりもんにしき)」の復元するため、幾多の困難を乗り越える説明的文章「幻の錦」只野哲著でした。確か3年生向けの、なかなか骨のある文章だったと記憶しています。
ユングもこうした上下左右対称の図柄「曼荼羅」に独特な世界観をもっていたそうです。西洋と東洋の文化的な相違や共通点など、曼荼羅を通じて普遍的無意識に思いを巡らせていたというふうに想像しています。河合先生の入門書「象徴」とは異なるかとは思いますが、引用すると難解極まりなくなると思われますので、自分の思いつきを述べさせていただきます。
東洋人が、シルクロードを通じて西洋の豊かな文化に触れようとしたと同時に、西洋人は東洋にエキゾチズムを感じていたと思います。そして、互いの文化や生活様式を理解し合うようになっていきました。ユングにおける曼荼羅も東洋文化や哲学の象徴的存在として見られていたと思います。スイスに住む彼が、オリエンタルな文化に強い興味・関心をもっていたか、測り知ることができます。人の心の探究が、彼の住むスイスだけでは充足感を得られなかったかもしれません。
さて、コロナ禍が終息したようです。それに触発されたかのように、日本各地へ外国からの観光客が押し寄せているというニュースを見ます。また、こちらから中学生の修学旅行先は、今も昔も東京です。浅草、雷門、仲見世通り。帰りの新幹線の時間調整には、ちょうどいい場所です。外国から来られた方々にとっては、東洋の独特な文化を有する象徴的な観光地として、連日賑わっているようです。
仲見世通りのお土産屋さんを眺め歩くと、粗末な日本名物の物品が売られています。よく恥ずかしげもなくウソの日本を広めているもんだと、1つ手に取って底のラベルを見ると、何とMade in China Made in Taiwan と、正直?な表示を見たこともありました。そんな珍妙な様子に触れて、そこまでして儲けなくてもと考える人も多いかと思います。日本文化の基本を知らない人が作った物であることが、ミエミエだからです。
日本を表現した物品を見て、何かが違うと思うことができるのは、自国の文化の機微を知っている証拠です。いくら探しても、物陰に手裏剣を持った本物の忍者もいなければ、チョンマゲに腰に大小の刀で、摺り足で歩く本物の武士もいません。忍者村や京都の太秦撮影所には、それらしき人はいますが、あくまでも役割演技しているだけです。
見た目には西洋化しましたが、日本には独特の「しきたり」があることを伝えるのが、必要だと思います。何しろ、靴を脱いで屋内に入るという国です。何より清潔さを重んじます。そこに究極のよさがあることを、是非伝えたいものです。また、マインドフルネスとしての禅の瞑想など、心豊かな観光資源がたくさんあることも、忘れてはならないと思います。そんなオリジナリティを伝える努力を怠っていると思います。
外国人観光客に紛い物のグッズを売るのは、個人の自由です。しかし、日本文化における「おもてなし」の心を是非理解してもらえるような振る舞いが欠かせませんね。日本が、真の観光立国として世界に認められるには、私たち自身が、自国のよさを明確な表現で説明できなければならないのです。単なる見せ物の羅列を見てもらうだけでは、わざわざきてもらった意味がありません。
もしも、今の時代にユングが来日したら、何の変哲もない神社仏閣を見せて、般若心経のような短いお経について説明を受け、あれこれ議論する場を設定したいと思います。そして日本文化における普遍的無意識を感じ取ってほしいと思います。そして、彼の住むヨーロッパとオリエンタルな国である日本との接点を聞きたいと思います。そして、「獅子狩文錦」の復元版を見せて、これにまつわる物語を聞いてもらいたいと思います。
確か河合隼雄先生に「ユング心理学と東洋思想」という著書があり、読みかけだったはずです。今度、ちゃんと読んでみたいと思います。ユング関係の本は、結構たくさん買って、読みかけもたくさんあります。「プラクティカル ユング」などは、ネーミングに惹かれて買いっぱなしです。今更ながら、反省しています。