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海でのセーリング

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​●本文中に、意味不明の改行等、不適切な表記があります。フォント、文字サイズを調整しつつ、なんとか最も小さなトラブルにしてありますので、ご容赦ください。順次、新作を載せていくつもりです。「面白くてタメになる」内容になるように、努めたいと思います。読了時間が、4〜6分程度の「エッセイ」として書き綴る予定です。誤字等あるかもしれませんが、これまたお許しいただきたいと思います。

​⭐️noteに続きを載せました。どうぞ、お読みください!​ 雅号は「宇想月」です。


 中学校の国語を担当していましたが、初任校では、教育出版の教科書で一番興味をもった題材が、正倉院に所蔵されている絹織物「獅子狩文錦(ししかりもんにしき)」の復元するため、幾多の困難を乗り越える説明的文章「幻の錦」只野哲著でした。確か3年生向けの、なかなか骨のある文章だったと記憶しています。

 

 ユングもこうした上下左右対称の図柄「曼荼羅」に独特な世界観をもっていたそうです。西洋と東洋の文化的な相違や共通点など、曼荼羅を通じて普遍的無意識に思いを巡らせていたというふうに想像しています。河合先生の入門書「象徴」とは異なるかとは思いますが、引用すると難解極まりなくなると思われますので、自分の思いつきを述べさせていただきます。


 東洋人が、シルクロードを通じて西洋の豊かな文化に触れようとしたと同時に、西洋人は東洋にエキゾチズムを感じていたと思います。そして、互いの文化や生活様式を理解し合うようになっていきました。ユングにおける曼荼羅も東洋文化や哲学の象徴的存在として見られていたと思います。スイスに住む彼が、オリエンタルな文化に強い興味・関心をもっていたか、測り知ることができます。人の心の探究が、彼の住むスイスだけでは充足感を得られなかったかもしれません。


 さて、コロナ禍が終息したようです。それに触発されたかのように、日本各地へ外国からの観光客が押し寄せているというニュースを見ます。また、こちらから中学生の修学旅行先は、今も昔も東京です。浅草、雷門、仲見世通り。帰りの新幹線の時間調整には、ちょうどいい場所です。外国から来られた方々にとっては、東洋の独特な文化を有する象徴的な観光地として、連日賑わっているようです。


 仲見世通りのお土産屋さんを眺め歩くと、粗末な日本名物の物品が売られています。よく恥ずかしげもなくウソの日本を広めているもんだと、1つ手に取って底のラベルを見ると、何とMade in China Made in Taiwan と、正直?な表示を見たこともありました。そんな珍妙な様子に触れて、そこまでして儲けなくてもと考える人も多いかと思います。日本文化の基本を知らない人が作った物であることが、ミエミエだからです。


 日本を表現した物品を見て、何かが違うと思うことができるのは、自国の文化の機微を知っている証拠です。いくら探しても、物陰に手裏剣を持った本物の忍者もいなければ、チョンマゲに腰に大小の刀で、摺り足で歩く本物の武士もいません。忍者村や京都の太秦撮影所には、それらしき人はいますが、あくまでも役割演技しているだけです。


 見た目には西洋化しましたが、日本には独特の「しきたり」があることを伝えるのが、必要だと思います。何しろ、靴を脱いで屋内に入るという国です。何より清潔さを重んじます。そこに究極のよさがあることを、是非伝えたいものです。また、マインドフルネスとしての禅の瞑想など、心豊かな観光資源がたくさんあることも、忘れてはならないと思います。そんなオリジナリティを伝える努力を怠っていると思います。


 外国人観光客に紛い物のグッズを売るのは、個人の自由です。しかし、日本文化における「おもてなし」の心を是非理解してもらえるような振る舞いが欠かせませんね。日本が、真の観光立国として世界に認められるには、私たち自身が、自国のよさを明確な表現で説明できなければならないのです。単なる見せ物の羅列を見てもらうだけでは、わざわざきてもらった意味がありません。


 もしも、今の時代にユングが来日したら、何の変哲もない神社仏閣を見せて、般若心経のような短いお経について説明を受け、あれこれ議論する場を設定したいと思います。そして日本文化における普遍的無意識を感じ取ってほしいと思います。そして、彼の住むヨーロッパとオリエンタルな国である日本との接点を聞きたいと思います。そして、「獅子狩文錦」の復元版を見せて、これにまつわる物語を聞いてもらいたいと思います。


 確か河合隼雄先生に「ユング心理学と東洋思想」という著書があり、読みかけだったはずです。今度、ちゃんと読んでみたいと思います。ユング関係の本は、結構たくさん買って、読みかけもたくさんあります。「プラクティカル ユング」などは、ネーミングに惹かれて買いっぱなしです。今更ながら、反省しています。


 


 


 




 まだ幼い頃、テレビ番組で大反響を得ていたのがUFO特集や、カワグチヒロシ冒険シリーズでした。両手を繋がれて歩く「毛」という物が見られない、まるで爬虫類のような宇宙人の姿に驚き、怖がった思い出があります。


 空飛ぶ円盤は、世界各地で目撃されました。私も、小学生の時に見ました。夜空を飛ぶ光る物体。非常に複雑な動きをするのに驚き、ジグザグ飛行できる飛行物体は、UFOに違いないと思いました。まあ、誰も信じてはくれませんでしたが。しかし、ユングはキッパリと言いました。「UFOは、実在する」と。


 これをネタにした本を、今も持っています。かの有名な精神医学者、分析心理学者であるC.G..Yungは、宇宙人と交流している。そんなオカルトじみた説を述べ、ユングを超能力の持ち主のように仕立て上げている、いわゆる「子ども騙し」の本でした。JungをYungと、スペルが間違っている、ニセモノ本でした。


 ユングが言いたかったのは、UFOを見たのは「集団的無意識」「普遍的無意識」の成せる技であり、世界のあちこちでUFOを見た人がいるのは、人間に共通する無意識がある根拠として述べているのでした。ですから、オカルトでも何でもない、フロイトとは異なる分析心理学者の考え方だと言えます。


 無意識と呼ぶからには、意識(認知)できない心の奥底について、ユングらしい学説を立てていくと、嘘偽りに思われることです。私も当初は、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)などの考え方に、疑問をもっていました。しかし、長く生きてくると、その信憑性を疑うこともなくなりました。


 ユングは、生きていく術を教えてくれます。人の性格の好き嫌いをしなくなったのも、その中のひとつです。また、インフォリオリティ・コンプレックスを自分の生きる力として捉えることもできました。つまりは、偏った見方・考え方からの脱却によって、新たな世界が広がったのも、ユングから学んだことです。


 さて、集団的無意識・普遍的無意識を、私なりに解説してみます。それを具体的な言葉で言うと、国民性、県民性、地域性と解釈しています。よろしくない言葉で言うならば、島国根性などが挙げられます。他国と境界が、全て海である日本。一種独特なものの捉え方・考え方をするのを、実感している人も多いでしょう。


 それを「閉鎖的」と呼びましょうか。日本の常識は、往々にして世界の非常識だとも言われます。そんないじけた性質が、国民全体に共通しているように思います。それが、日本人としての集団的無意識のように思います。


 そして、エリアを限定的にすると、我が秋田県民性は、あまり肯定的な見方ができません。学生時代を過ごした東京都は、地方出身者のカオスだったので、都民性なるものは感じられませんでした。人それぞれの思いに任せて生活しているだけでした。


 東京の冬空は、陽の光が低いものの、いつも眩しいほど晴れ渡っていました。その環境に違和感を抱くのは、やはり「裏日本」出身者の哀しい性なのだったと思います。秋田県は、自殺率全国1位だった状態が、長く続きました。2位になった時、ニュースで報道されました。しかし、今も下位になれないでいます。哀しい県民性です。秋田の冬は、空が非常に低い日が続きます。


 何か根の深い「諦め」の集団的無意識が、地域全体を支配しているように感じるのは、私だけでしょうか?7年ほど住んでいた新潟県とは決定的に異なる無意識が根底に根づいているように思います。


 お金の問題が、全県的に雰囲気を暗くしている一因のようです。秋田県で大学教員をしている某准教授の「ここは終わっている」発言。そして新潟県から同じ職で戻ってきた時、給料が手取りで5万円下がった時の、唖然としたことなどを思い出しました。


 平均点という統計的有意差が不明な数値で比較して、全国学力・学習状況調査で全国上位になった時、「秋田県は学力が高い」と、ぬか喜びする様子は、恥そのものです。限界集落の存在を棚に上げて、少子高齢化を唱える人たち。明らかに、ズレています。


 県民性・地域性と呼ぶ集団的無意識は、簡単に変わるものではありません。マイナス志向を逆転させるのは、不可能なのかもしれません。しかし、我がふるさとの人々に、わずかであっても自己肯定感を獲得して欲しいと思います。私自身がユングに惹かれた理由も、こんな思いからかもしれません。


 悪口めいたことばかり書き綴ってきましたが、自分のふるさとが好きです。時に音楽は、集団的無意識を表現していることがあります。「大いなる秋田」という吹奏楽と合唱による楽曲があります。そこには、こうありたいという秋田県民の集団的無意識が封じ込められているように思います。


 恥ずかしながら、全曲を聴いたのは、数年前でした。誇らしくなりました。そして、涙が出ました。こんな秋田にしたいと思いました。観客の方々と同じ思いを味わったように思いましあ。せめて次世代は、こうあってほしいです。もっと魅力的な土地であってほしいと、思っている人も多いでしょう。しかし、土地の魅力を創るのは、そこに住み、生活している人たちであることを忘れないでほしいのです。


 湿っぽい話で、失礼しました。


 


 


 


 


更新日:2023年12月19日


 今まで見てきた数え切れない「夢」の中で、登場人物、場所、主なストーリーを覚えているのは、いくつかあります。逆に、朝目覚めて、身支度をする間の僅かな時の中で、消えるが如く忘れてしまう夢が、大多数かと思います。


 夢は、日常生活で無意識に抑圧してきた感情が染み出してくる現象だと言われています。主に不愉快な記憶が、姿を変えて出てきます。大雑把な捉え方をすると、生活の中で抑えつけていた不快感を、無意識の中にぶち込んで、それでも消化不良になっている感情を、きれいに処理する行為が夢ではないかと思います。一晩寝たら忘れ去るという現象です。


 しかし、実際には、愉快な夢や感動する夢も見ますから、「抑圧」とは言えない感情が無意識に閉じ込められていると、考えることができます。日常生活と同じく、夢にも喜怒哀楽があるのが、ごく普通の心情でしょう。


 ユングの理論によく出てくるのが「相補性」という概念です。例えば、タイプ論で述べられている対立する、内向ー外向の一般的態度心理機能相互が、シーソーのようにバランスを取るため変化して、性格の変化をもたらしている状態です。ここで、話が急に面倒になりました。私の説明能力欠如がもたらすものなので、理解不十分な理論の上っ面だけ食い散らかして進んでいくわけです。


 そこで、意識と無意識の橋渡しをするのが夢で、その相補性によって、自己のバランスが維持されるという勝手な定義づけとします。これ以上、難解なユング理論における「夢分析」をあれこれ論じても、ボロを出して終了という破目に陥ることでしょうから、この程度で誤魔化しておきます。本稿では、私なりの思いを、面白半分に書き綴っていこうと思います。


 公言していいのか、良くないのか、判断に迷う夢が一種類あります。シュチエーションは異なりますが、メインストーリーは同一の夢を、今まで数多く見てきました。確か、中学生の頃から今まで、50年以上見続けてきました。


 ここまで書いて、まだ迷っています。笑われるのか、馬鹿にされるのか。羨ましがられるのか、軽蔑されるのか。どんなリアクションが返ってくるのか、今だに判断できないままなのです。お願いします。どうか、小馬鹿にして笑うぐらいで、納めてくださいますように。


 しかし、考えてみれば、これは超人的能力とも言えます。もしも、私のようなスキルが広く世の中に広がったとしたら、この世は好ましくない方向になることでしょう。ですから、夢のプロセスのみ、お伝えするつもりです。


 それは、夢の中で起こります。場所は不明ながら、ぼんやりと街を眺めている私がいます。夢の中の私は、重大な発見をして驚いています。今、自分は夢の中にいるという、驚くべき事実を知るに至ったのです。つまり、夢というフィクションの中で、意識は突如として大きく変化を経て、覚醒状態になります。


 確かこんな夢体験を初めて経験したのは、思春期に入ってからです。それ以来、夢の中で夢見ている自分に気づく経験は、数知れず起こりました。中年期以降は、夢であることに気づく技を習得しました。ユングだったら、この現象をどう説明してくれるでしょうか?


 気づいてから、どう行動したかということについては、絶対に話すことはないでしょう。男どもの皆さんは、どうするのか考えてみましょう。おそらく悪事であり、犯罪になることでしょう。ですから、夢の中で夢を見ていることに気づく方法も、案外簡単な方法ですが、誰にも教えないことを、ここに誓います。


 夢を独占できるという思いは、男性諸君を助兵衛君にすると思います。しかし、夢の映像の持続時間は、ほんのわずかです。夢だと気づいた瞬間から、どんどん浅くなり、覚醒に至ります。悪事をする余裕などなく、実に儚く終わってしまうのが、本当のところです。


 ですから、ご想像されているような、人道に外れる行為はできません。しかし、目覚めた時に残る悔しさは、他には経験できないことだと思います。そういう意味で言うと、貴重な夢だとも言えます。


 年を取ると、夢を頻繁に見るようになるようです。しかし、睡眠中に私と同じ力を発揮できる人は、どれだけいるのでしょうか。夢を見ていることに気づく、特殊能力です。ただし、そうした夢を見る時、睡眠はかなり浅くなっています。見る対象がどんどん崩れていって、残念な覚醒に至ります。


 我流な言い方をするならば、意識と無意識の境界線に居るようだと考えます。こういう時に「金縛り」が起きることもあります。例えば、こんな状態になります。


 前触れなく、突然めが開く。横になっている自分は金縛り状態で動けません。しかし、目線だけは移動可能です。少し離れた椅子に「私」が座って、こちらを無表情で見ていなす。間違いなく私の姿です。


 金縛りは続きます。必死に抵抗します。椅子に座っている私と急に目が合います。これまた急に、金縛りは解けて、「座っている私」の姿も消えます。これを、どう解釈、分析すればいいのでしょうか?


 フロイトなら、夢判断することでしょう。しかし、ユングはクライエントの話を傾聴して、一緒に「分析」することでしょう。集合的、普遍的無意識なども指摘することでしょう。


 今まで、数え切れないほど、夢を見てきました。中でもよく見たのが、高所から落下する夢です。もしも機会に恵まれるなら、夢分析をお願いしたいものです。何かがわかり、何かが明確化すると思います。人生の課題を見つけることができるかもしれません。


 あなたは、どんな夢を見ますか?その意味について、一緒に考えてみませんか?




015-0864

秋田県由利本荘市大鍬町 117-2

 

学校心理士

​健康経営アドバイザー

髙  橋     

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